確かに昨日、外を出歩いたんですけど、こんなに膝が悲鳴を上げるとは思ってもいませんでした。
歩くたびに左ひざが筋肉痛で痛みます。実を言えば、昨日の帰宅時点で左太ももにも痛みがありました。
滅多に痛まないところでした。寝たら治りました。でも、左ひざは変わらない痛みでした。
先週も少し外に出ただけで筋肉痛になり、痛みが消えるまで3日くらい掛かりました。これって本当に
入院したから体力が衰えているのが理由なんでしょうか? 年齢的な理由か? 走れる気がしないな。
走る練習もした方が良いのかもしれませんね。膝にキそうだなぁ。
今日はマイナンバーカードを受け取るために外に出ました。なぜ今更?と言われてしまいそうですが、入院前の通院時、
マイナンバーカードがあれば処方箋の受付が簡単になったり、銀行窓口に行かなくても住所変更の申請が出来たりと
あったら便利だなと思うシーンがいくつかありました。現在の保険証も廃止になるし、持っておいても損はないと考えて
取りに行きました。持ち歩くことはしませんので、必要になったら使う感じですね。パスポートみたいなもんかな。
でも保険証が廃止になったら、財布に保険証の代わりとなるものを入れておきたいですね。確か、交付証明書みたいな
ものを出してもらえるんですよね? それを入れておけばいいのかな? それとも、マイナンバーカードを常に携帯するように
したほうが良いのかな? はたまた、スマホにマイナンバーのアプリを入れて、電子証明書を登録したほうが良いのかな?
ベストプラクティスがどれか、見当も付かないです。一番安全な運用方法を教えてほしいですね。
せっかく晴れたので、外に出るトレーニングをしようと思っていましたが、本とか読み始めると忘れてしまいます。
こういう時、私はインドア派なんだなーと改めて感じます。いちいちお外に出るの、めんどくさいよね。
そういうわけでアニメを消化したり、本を読んだりしていた私ですが、薦められて見始めた「レインボーライブ」が
突然面白くなってきて、半分見終わってしまいました。1クール目はちんぷんかんぷんで、カットインとかセリフを
楽しむ勢いに任せたアニメなのかな?と思っており、見ても一日1話くらいだったのですが、2クール目のおとはちゃんが
追い出された話から一気に面白くなってきて、ドリーミークラウン勢が自身の壁を乗り越えて成長していく姿は非常に
素晴らしく、このアニメ面白れぇなとなりました。残り半分あるので、ぼちぼち見ていこうと思います。
三月なのに雪が降りましたね。私の地域は降ってなかったのかな。でも路面は濡れていたので、雨は降りました。
天気が悪いのでなかなか外出しにくい日々です。天気予報も「雨」って予報していたけど、今日の午後は晴れましたし。
明日は晴れて、気温も上がるらしいので、このまま3月の気候になってほしいものです。そうしたら髪を切りに行ける。
気温が高くて晴れの日を条件に予約できる日を探そうかな。すっきりと切って、さわやかなおじさんになりたいものです。
別に集荷を依頼しなくても、今はコンビニで発送出来ます。ちょっと発送する作業が必要になったので
自宅近くのコンビニで作業したのですが、クロネコヤマトの場合は「スマホで発送」という便利な機能を使えば
配送伝票を用意しなくて良いようです。住所とか、会社名とかはPCの方が入力ミスが起き難いので、個人的には
PC入力の方が良いのですが、利便性を考えるとスマホでも良いかもしれません。箱のサイズが本当にSサイズか
確証が持てなかったのでコンビニレジで対応したのですが、レジの場合は何故か箱に伝票を貼らないといけませんでした。
困惑して作業したのですが、受付後に店員さんが「敷地内のPUDOを使えば、貼り付けとかも不要ですよ」と教えてくれました。
自宅近くに2つくらいPUDOがあり、Amazonの返品で数回使ったことがありましたが、サイズとか確実ならばPUDOを
使ったほうが楽そうです。ロッカーに入れておけば良いんですよね。確か返品の時は入れただけで終わったはず。
とはいえ、自宅から送ることなんてそんなに無いと思うので、滅多に使うことは無いでしょう。
それにしても、メルカリとかの普及で宅急便の準備も楽になったなと思いました。
市販のサラダを購入する際、プラスチックのパッケージに入っている完成品を購入していました。
それを袋詰めに変更してみたのですが、お値段は対して変わらないのにサラダが山盛りになりました。
体調も改善し、体力も少しずつ戻ってきたようで、以前のような食欲も出てきたようです。
結構食べていた頃の状態に戻りつつあるのか、夕飯を食べたのに寝る前に小腹が空くことがありました。
それならいっそ、野菜を食べる量を増やそうという試みです。値段変わらずにいっぱい野菜を食べれるので
おなかも膨れて良さそうです。カット野菜がどの程度、健康に良いのかはよくわかりませんが、野菜を
食べているというプラセボ効果はあるはずです。というわけで、山盛りサラダを食べて、体調に変化があるかを
実験していこうと思います。
自宅で作業をしていると、一日があっという間に終わってしまいます。今日はemacsのinit.elをorgモードで
書く方法を調べて、動画で勉強して、実際にやってみて、動かない部分の調査をしていたら終わってしまいました。
最終的にはちゃんと動くようになったので良かったです。github上からinit.orgを見ると、どのような設定を
やっているのかが見やすくなって非常に良いなと思いました。まだinit.orgへの移行が終わっただけで、
early-init.elも移行しないといけません。これは近日中にやりたいです。他にも、参考にしたいemacsの設定が
あるリポジトリを見つけたので調査したいと思っているのですが、emacsにばかり時間を割くわけには...。
どうせ入院代で16万とんでるんだと思うと、この際だから色々とお金を使ってしまおうと思ってしまいます。
これに加えて、母が東京来た時の宿泊代と帰りの飛行機代も払っているのでさらに10万くらい計上されます。
さらに、5月に所用で長崎へ帰る用事が出来、前割でチケットも抑えたので、往復で5万くらい払っています。
ここまで来ると、どうせ来月、引き落とされるんだから、1~2万増えようが変わらんと思ってしまいます。
衝動的にいちごちゃんのフィギュアも買ったしな。ついにフィギュアに手を出した私はもう戻れないよね。
LEDランプ付けたり、回転させたりしたいなって思っています。出荷は12月なんだけどね。
食事も3食バランスを考えているので、今まで以上に掛かってるはずです。しっかり食べているおかげか
間食しなくなりましたね。お菓子を食べるのが怖いってのもあるとは思いますけど...。小腹が空いたから
なんか食べようかな~という感じがありません。
以上に加え、引っ越しの費用や敷金/礼金も考える必要はあるので、お金遣いの荒い年度初めになりそうです。
先日の日記にもある通り、ベッド買い換えたいし、ベッドサイドテーブルも欲しいですし。デスクトップPCも
スペックを現行のものに上げたいよね~という思いもありますので、お金がいっぱい必要ですね。
入院時の話は今回でおしまいです。突然の入院でしたが、色々な知見を得られて、悪くはない成果が出たと思っています。
病気で苦しみはしていましたが、日中は穏やかな時間が流れていました。ただ本を読んだり、プログラムを書いたり
しているだけの時間も悪くは無いと思いました。電動ベッドがとても快適だということがわかりました。新しい部屋には
電動ベッドを配置できるようにしたいと考えています。今は、スマホのアプリから制御できるものもあるらしいです。
ベッドサイドに移動できる机があると、非常に便利だということもわかりました。ご飯を食べたり、本を読んだり、
PCをいじる際には本当に便利です。ベッドサイドの机も検討しています。そして、多少なり、自分の今の現状とか人生とかを
考える時間も出来ました。身体も壊れちゃったし、これからどうしようね?とか。
入院時に困ったのは、おじさんたちの独り言といびきです。寂しいのかわからないのですが、おじさんって独り言が多いです。
特に独身だったり、病院でも仕事をずっとやってるような人ですね。もっと楽に生きたらいいのに...と思います。
そして、いびき。おじさんたちはみんな、いびきをかきます。でも、当人たちはそれを意識してないのです。
ある程度は耳栓でなんとかなりますが、怖かったのは無呼吸の人が居たことです。いびきが途中で突然止まり、
10~20秒後に再開します。それが不定期に繰り返されるのです。これはなかなか恐ろしさを感じてしまいます。
無呼吸はヤバいというのは認識していましたが、どういうものかを目の当たりにすると、自分がそのような呼吸をしていたら
怖いなと思いました。
話が少々、現代へ戻りますが、退院後に苦労したのは体力低下と筋力低下です。本当に坂を上るのはキツイです。
坂を下るのもキツイです。買い物へ行くことでリハビリになり、ようやく慣れてきました。電車に乗るのも大丈夫そうです。
電車に乗って、近くの駅を歩いて、戻る。そういうリハビリもしていますが、長時間歩くと筋肉よりも膝が軋み始めました。
どうやら膝も長時間酷使はまだ良くないようです。2時間くらいの散歩だったのですが...。だいぶ弱っているようですね。
元の体力や運動ができるところまで戻すのはまだまだ時間が掛かりそうです。
基本的に一人で行動する私なので、交友関係は広くありません。入院したことを連絡したのは、ほぼ仕事関係だけでした。
それでも、思ったより多くの人たちが入院先へお見舞いに来てくれました。みんな、来てくれてありがとう。
お仕事関係の人に加えて後輩くんもわざわざ様子を見に来てくれて、入院生活中は退屈することなく過ごすことが出来ました。
お仕事関係で驚いたのは、会社の人たちが社長も含めて会いに来てくれたことですね。絶対来ないし、興味ないと思っていました。
...ちょっと失礼過ぎました。みんな、根は良い奴なんですよね。食事制限されてるのにお菓子買ってくる人もいたけど。
でも、心配してわざわざ来てくれる優しさは持ってる人たちなんです。「根はいいやつ」で全てを許せるわけではないですけどね。
そうそう。お友達の「牛のお姉さん」もご自宅と反対側にも関わらず、お見舞いに来てくれたんですよ! 遠くからありがとうございました。
なんでも、中華粥を食べるついでだよとか言われましたが、俺にはわかってますよ、彼女の優しさが! 「おすすめの本が欲しいです」とお願いしたら
何件も本屋さん探してくれたり、アイカツ!グッズをいろいろ買ってきてくれたり。いつもいろんな楽しさを提供してくれる人ですな。
いただいた本は二冊とも面白かったです。本を選ぶセンスもあって、すごいよね。
アイカツ!のショートショートを書きなさいという課題を与えられているので、それも準備しないと...。絵も描けるようにならないと...。
プリティーリズムレインボーライブも見ないと...。3話まで見ました。キラッと☆プリチャンに出てくる並行世界の別人が主人公だとは知らなかった。
今のところ、嫌いなキャラは居ませんな。CGモデルも悪くないです。話はまだわからないや。
そして、長崎から飛行機で母親も来てくれました。勢いで来ていました。泊る所も帰る方法もなーんにも考えずに来てしまって、大変困りました。
でも、心配してきてくれたことは嬉しかったです。下手すりゃ、二度と会うことが無い可能性もあったわけですからね。約5年ぶりに見た母親は
小さくなった気がしました。歳を取ったな。宿泊先と帰りの飛行機はこっちで準備しました。羽田から病院まで、都会に慣れていない長崎人が
たどり着くことは絶対に出来ない!と思った私は、顧問に案内をお願いしました。私は病院から動けないので迎えに行けませんから。
マジで顧問にはお世話になりまくりなので、来月にでもお礼にお食事にお誘いしたいものです。母親とはこっちにいる間、いろんなことを話しました。
といっても病気のことや実家のこと、老後の生活のことなど、今までほったらかしにしていたことを話し合っただけでもありますね。
でも、やはり自分の親です。話すことに退屈はしませんでした。来てくれてありがとう。でも、二度と一人で来ないで。危ないから。
次来るときは、お友達と一緒か、ツアーとかで来てください。
これは、入院前からの話です。近くの消化器科を受診し、潰瘍性大腸炎っぽいよ?という診断が下された後、処方されたお薬があります。
そのお薬は、私の小指の第二関節くらいある錠剤です。1.5~2.0cmくらい? すごく大きいです。それを一日4錠、飲む必要がありました。
でかいのが辛くて、でも治すためには飲まなきゃいけなかったので飲みました。2週間くらいはそれで安定してきていました。しかし、例の
洋菓子を食べた日以降、この薬を飲むと大腸が熱を持ち、動くことが辛くなりました。会社でも午前中は動けなくなりました。
入院後、先生に話を聞いたところ、この薬で患者さんの8割は何とかなるらしいです。効かないほうの2割を私は引いてしまったようです。
要するに、この薬が身体に合わない人。結果的に、潰瘍性大腸炎はガンガン進行してしまったわけですね。治療のフェイズ2として、ステロイド系の
お薬を投与して、炎症を抑える方向に舵がきられました。ステロイド系のお薬は、徐々に減らしていかないといけないらしいのですが、急に
供給を断つと不調をきたす場合もあるらしいので、点滴での接種から内服薬で量を減らしていくことをまだやっています。今のところは
問題ないです。このステロイド系お薬での治療でさらに8割くらいの患者さんは安定期へと押し切れる...のですが、血がドバドバ出た私は
血液検査の結果からも「押し切れなさそう」と先生に言われちゃうくらいでした。それもあって、今はフェイズ3の治療と並行しています。
フェイズ3では、さらに専門的な潰瘍性大腸炎のお薬を使うわけです。最初は4週間ごとに点滴治療で接種します。その後、皮下注射で接種します。
徐々に接種までの間隔が4週、8週、12週...と伸びていくそうです。これでずっと安定してくれるとよいのですが、突然、再熱される可能性もあります。
やはり扱いの難しい病気だなと思いました。完治もしないし...。一緒に生きていくしかないんだよなぁ。
血が止まらず、参ったなと思う日々でしたが、徐々に大腸は安定していきました。夜、血の混じったウンチが出たり、点滴で水分取っているので
おしっこに頻繁に行くようなことは当たり前のように起きます。が、それでも、血で便器が真っ赤に染まることはほぼ無くなりました。
赤っぽかったうんちも徐々に黒さが出てきます。たまに赤い粘膜がひとかけらだけ含まれることはありますが、以前よりは全然少ない量です。
むしろ今度は、うんちがなかなか出てこないという現象にも悩まされました。あれだけ下痢で大変な目にあったのに、安定し始めるとうんちは
出にくくなっていきました。反対に、ちゃんとおしっこが出るようになります。下痢時代は、水分もすべて尻から出ていたので、おしっこはなかなか
出ることがありませんでした。回復し始めていることがわかって嬉しい反面、数日間、うんちが出ないようになり、不安な気持にもなってきます。
幸い、おならは出ており、おならをした際に粉みたいなウンチのかけらが出ていたので、大腸は機能しているらしいことは確認が取れました。
看護師さんからも「水を飲んで気長に待ちましょう」というアドバイスでした。気長に待ち、ようやくちゃんとウンチが出たのは、退院の2日前でした。
ちゃんと、黒い便が出て、赤いのが混じってないのを確認できた時はとても安堵しましたし、快方へ向かっていることがわかって嬉しかったです。
血も出なくなったこと、炎症度も下がったこと、うんちも下痢ではなく軟便~少し硬い便で色は黒っぽいのが出るようになったことから、退院OKとなり
自宅療養しながら通院する形へと落ち着きました。入院期間は約20日間。入院費用だけで16.5万円でした。最初は「高い...」と少し面喰いましたが
「ホテルに止まってるようなもんだから」と顧問に言われて、納得しました。点滴や薬、輸血などもあってこの値段ならそういうものかもしれません。
高額医療費の申請とかでちょっと返ってこないかな~と淡い期待を持っています。難病申請も必要なので、今月中には役所で申請してみたいなと考えています。
先日の日記に書いた通り、血が不足している私です。先生からも「次に血が出たら失神する可能性がある」というお話もあったので
人生初の輸血を受けることになりました。輸血して血が増えれば、失神はしないだろうということです。血は冷蔵庫で保管されているようで
点滴と同じように血を流し込むのですが、結構冷たさを感じます。冷たいからちょっと痛みを感じるな?と思っていました。時間が経つと
痛みは感じなくなりました。何ミリリットル入れてもらったのかは確認していませんでしたが、おおよそ2~3時間程度掛かる量を入れました。
最初の15分は看護師さん立会いの下、血を入れて行き、問題なさそうであれば立会い解除になります。そうそう起きないらしいですが、
輸血したことで体調が悪くなったりすることもあるそうです。そのための予防策ですね。これで血の貯金ができました。
と思っていたのですが、血液検査したらあんまり増えていなかった...。よっぽど血が足りないのか。血、血、血が欲しい。。。ではないですが、
まだ危険な段階なので、もう一度輸血しておこうという判断が下され、結果的には2回、輸血しました。やらないに越したことは無いそうです。
ともかく、血は増えたので、後は私の体が自然と血を増やしていくだろうということで。レバーとかを食べたほうが良いのでしょうかね。
さて、血が出た以降、一日だけ絶食になりましたが、食事は再開されました。どうして、血が大量に出たのかは不明な上、今までも食事自体は
行っていたが大量の血が出たわけでは無かったこともあって関係はなさそうであるという判断でした。ただし、全粥だったのが、5分粥になりました。
また消化器官を慣れさせていく食事が始まりました。5分粥を2~3日、その後、全粥へと復帰していきます。やっとのことでまた全粥まで来ましたが
固形ご飯を食べていないので、退院は先になりそうです。ここまでで、入院からおよそ2週間が経過してしまいました。シャバへの復帰は遠そうです。
点滴をしながら、食事を取る日々を送って約1週間。ようやく、点滴を外し、内服薬に切り替えて行きましょうという話が出ました。
そういうわけで、入院してから一度だけ髪を洗ってもらった以外はずっと暖かいタオルを使って身体を拭いているだけだったこともあり
許可も降りたのでシャワーを浴びました。べたつく髪の毛を数回のシャンプーで洗い流したり、身体を洗うタオルは無いですがボディーソープで
洗って久しぶりのお風呂を楽しんでいました。暖かいタオルの場合、清潔感は保てるのですが、よく見ると垢が少しずつ溜まってきているのが目に見えてわかります。
今回は本当に長いこと風呂に入らなかったので、こんなに垢が溜まるのかと驚きました。
さて、このシャワーの直後です。湯冷めしたわけでも無いのですが、突然、立ち眩みと眩暈が襲いました。急な体調悪化でヤバいと思ったので、ひとまずベッドへ戻りました。
その直後、おむつは紅に染まりました。看護師さんからは立ち眩みした段階でナースコールを押して!と注意されました。すみません。その後は大きな問題もなく、
今までどおりに過ごしていました。しかし、ここで大きな容態変化が起きます。食後に突然、ゴロゴロと腹が鳴って来たのでトイレに直行し、大量の血を尻から吐きました。
血が出たのでナースコールで呼んで、見てもらった直後、さらにゴロゴロと鳴り始め、また、血が出ます。それが、まったく収まりません。尻から大量の血が3, 4度出ました。
途中、血が出まくったことで気持ち悪くなり、嘔吐感も発生し、看護師さんにビニール袋を持ってきてもらって口元に当てていました。幸い、吐くことは無かったです。
しかし、腹には違和感があって洋式トイレから立ち上がれない。まだ血が出そうでした。他の看護師さんも来てくれて、とにかくベッドへ移動しましょうと言われました。
「このままだと血を出しすぎて失神しちゃう」ということでした。血が出ている際に血圧も測ってもらったのですが、最高値が50台だったそうです。本当に失神寸前でした。
しゃべることはできるし、意識もはっきりとはしていますが、気持ち悪さと眩暈で立ち上がれません。「お尻だけは拭きたい」とお願いして、看護師さんにお尻を拭いてもらい、
肩を借りて立ち上がり、トイレからベッドまで車いすで移動、そのまま横に寝かされて、血を脳へ集めるために足側を高くし、再びの点滴生活へ逆戻りしました。
この日は日曜日。夜も遅かったので当直の先生が来てくれて、軽く診察してもらいました。その際、小型の心電図もつけられ、ナースセンターでモニタリングされるようになりました。
血を大量に失ってしまったので、立ち上がるとまた眩暈や立ち眩みをする可能性もあり、非常に危険なので、もしトイレしたくなったら、今晩はおむつにしてくださいと指示を受けました。
もう、トイレどころか立ち上がる元気も失われるくらい疲れていたので、そのまま眠りました。血を失った影響か、朝までぐっすりでした。トイレを催すこともなかったです。
この結果、翌日以降はトイレに行くときは、ナースコールを押してくださいという約束事が増えました。ベッドからトイレまで数メートルなのですが、その際も補助を付けることに。
加えて、大腸の状態が不安定ということもあり、また点滴だけの生活に戻りました。許可が降りるまでは絶食です。
血液検査の際に判明していたのですが、実は私は貧血だったそうです。成人男性の血(ヘモグロビンの量?)は14.0くらいあるのですが、私はその半分の7.1くらいしか無い。
そこで、さらにこの血が大量に出る事件が起き、もう次に血が出たら失神するだろうレベルまで来てしまった様子。こうして私は、潰瘍性大腸炎に加えて、貧血の治療への道も進んでいくことになるのでした。
入院して始まった、夢の点滴生活。おかげさまで喉は乾かないし、お腹も空かなくなりました。しかし、口の中は最悪の状態です。
喋ることすらままなりません。ままなりませんが、致し方ないので持ってきてもらった本を読んだり、ノートPCで少しだけ仕事をしていました。
ありがたいことに、口内炎自体はちゃんと睡眠を取ることが出来たので2~3日で完治しました。唾液も固まって最悪の状態でしたが、歯磨きを
出来るようになったので口内環境も改善され、喋ることは苦では無くなりました。以降、口内炎を恐れて歯磨きは出来るだけやるようにしました。
起床後や昼、夜は必ずやっていました。
点滴のおかげで、うんちの状態は下痢から変わりませんが、色は徐々に赤みが消えていきました。炎症度が落ち着いてきたのでしょう。
それでも、深夜になると血の混じった下痢は変わらず出るので、それを見るたびに「俺は普通の生活が出来るようになるのだろうか...」と
途方に暮れる日々でした。お通じの色が緑っぽくなってきたタイミングで、食事の許可がようやく下りました。飲み物も水ならOKとなりました。
この時、久しぶりに飲んだ水が本当に美味しかった...。こんなに美味いモノが存在しているのか!?と、改めて食事が出来ることの大切さを痛感しました。
食事は硬いモノや大腸に残りそうなものがすべて取り除かれたメニューでした。ご飯は重湯でした。重湯とは、お粥作って、ご飯は取り除いた汁です。
米の味はするが...という品物ですが、私にとっては何とか摂取できる栄養です。そして、これらを食べた時も思いました。「飯が食えるって幸せだ」って。
さて、飯を食う。するとどうなる? 知らんのか、大腸が動き出す。そう、食べ物が消火器を通ると胃で消化されるハズですが、ちょっとでも食べると
大腸がゴロゴロと唸り始めした。もちろんですが、我慢は出来ません。間に合う時もあれば、間に合わない時もありました。食事中に離席とかマナーが~など
言われそうですが、んなこと言ってる場合じゃねーんだよ状態です。例え、お通じが間に合わなくておむつを替える事態になっても、食事は残さず食べました。
とにかく栄養を摂取し、何とか回復したかったからです。スープどころか、あんかけすら残さず飲みました。一滴も残さぬぞという心意気で食事しました。
その食事は、もちろん深夜にお通じとして処理されました。血も混じっていました。またそれを見て、不安になる時間でした。血が混じっている場合は
その都度、ナースコールで血が混じっていたことを伝えました。そして、どのような状態の便かを看護師さんに記録される日々でした。看護師さんが確認するまでは
排せつ物を流さないようにともお願いされていました。血が出て、便器が真っ赤に染まる日々は思ったよりも私を不安にさせたようです。恐ろしい時間でした。
今日はここまで。食事が出来るようになったのは本当に嬉しかったです。入院前は絶食期間もあり、食べることが出来なかったし、口内炎のせいで食事すら
ままならないこともありました。それが落ち着いて、ちゃんと食べれる、飲み込めるところまで回復したことは本当の本当に嬉しかったです。
しかし、おしりから血が出ることは増えました。血で便器が染まる度、ため息をつく日々でした。
02/15 24時。病室へと移動した私でしたが、出来ることはもう寝ることだけでした。緊急病棟へ通された私は
入院時に必ず行う身体測定で身長と体重を測りました。体重は51kgまで落ちていました。この数週間で4kg減。
問診票には「急激な体重減少は無い」と記載しましたが、完全に嘘となりました。看護師さんに訂正をお願いしました。
病室はもう寝静まっていたので、私も寝るしか無かったのは前述の通りですが、熱が下がらない上に身体が寒くて眠れません。
看護師さん曰く「寒いのは、熱が上がる兆候」とのこと。点滴投与した解熱剤の効果が薄かったのは、まだ熱が上がる未来が
あったからかもしれません。とにかく、眠れない。布団に入っても眠れない。横になっていると、大腸に激痛が走り、一瞬の間をおいて
ベッドサイドで漏らしていました。残念ながらシーツも汚し、病院の床も汚しました。ナースコールで看護師さんを呼び、汚物の処理をお願いしました。
途中、まだ出そうになったのでトイレへとゆっくり移動し、処理。おしりもウォシュレットで洗いました。その後、紙おむつを持ってきてもらいます。
私の紙おむつ生活はこの時からスタートしました。元々履いていたパンツは処分してもらいました。紙おむつのおかげで、少々の心理的安全性を
手に入れた私でしたが、結局、眠れない。ので、起床時間までずっとベッドサイドに座っていました。それしか出来なかった。その方が大腸も安定するし
怠さや熱も多少落ち着いたからです。口が乾いて仕方なかったですが、水は飲んではいけないと言われてしまったので、口をゆすぐだけにしました。
ゆすぐだけでも口内炎が刺激され、激痛が走りました。地獄だなと思いました。
6:30頃、夜勤の看護師さんたちが体調チェックに来ます。眠れましたか?と聞かれましたが、寝てないって答えました。
熱はまだ38度~39度あります。気を利かせた看護師さんがアイスマクラを持ってきてくれました。かちんかちんに冷えたやつでした。
それを頭に敷いて目を閉じると、凄く気持ちよかったようで久しぶりに睡眠が取れました。以降、私にアイスマクラは必需品となりました。
余程疲れていたのか、看護師さんが再び現れるまで寝たことにすら気づきませんでした。どうやら点滴を変えるために来てくれたようです。
絶食の上に飲み物も飲めない状態だったので、点滴で水分とブドウ糖を入れてもらいました。不思議なことに、点滴してもらうと空腹は起きないのです。
起きている間は比較的元気なので、スマホを見たりしていました。入院したことを顧問に伝えたら飛んできてくれて、私が入院する上で必要になりそうな
備品類を調達してくれました。室内履きとか、ティッシュとか、解禁されたら飲んでも良い水とか。耳栓も欲しかったので買ってきてもらいました。
もう入院してどうしようも無かったので、顧問に自宅のカギを預け、入ってもらい、必要なものを取ってきてもらうことにしました。
主に本とノートPCです。それらさえあれば、仕事もなんとかなるだろうと思っていました。後は、仕事関係や家族、お友達に入院したことを伝えました。
この日はひとまずここまで。点滴を投与しているためか、尿意は襲ってきました。でも、うんちは出ませんでした。日中は。そう、大腸は夜に動き出します。
この日の夜もまた、激痛で目を覚まし、ノータイム下痢でおむつを汚しました。2回くらい。その都度、看護師さんにおむつの替えを持ってきてもらいました。
もちろん、血の混じった下痢です。ドロッとしています。見るのも嫌になります。この日から、深夜に腹痛や違和感を感じて目を覚まし、トイレへと駆け込む日々が始まりました。
点滴棒と一緒にです。点滴棒と移動している間に間に合わないこともありました。だから、もう、おむつに出した方が良いなと思う時も出てきました。
そっちの方が、汚れが少なくて済むからです...。
例によって、02/03の日記でも少し書いていますが、02/05の仕事終わりにどうしても洋菓子が食べたくなって食べました。
ワッフルを4つくらい。洋菓子は、潰瘍性大腸炎を刺激する可能性があるので注意すること、という注意が
潰瘍性大腸炎を説明する小冊子に書いてありました。クリニックで受け取った小冊子です。しかし、どうしても
食べたかったんです。それがトリガーとなりました。大腸に鈍痛が響くようになりました。それまではある程度は
抑えることが出来ていたんです。しかし、収まらない。加えて、鈍痛のトリガーは渡されたお薬を飲む度に起きるようになりました。
「薬を飲む」→ 「大腸が熱くなり、ずーんずーんと鈍痛が響く」という具合です。薬自体も小指の第二関節くらいまであり、それを
四錠飲む必要がありました。毎回、飲み込むのが辛いほどです。徐々に飲むのが嫌になって来ました。鈍痛が起きるのを避けたくて
飲まない日もありましたが、一時的なもので、結局は大腸が熱くなったり、鈍痛が響いたり、下痢したり、血便が出ました。
結局、飲むしか道はありませんでした。しかし、飲み続けても一向に大腸は収まらない。再度クリニックへ行っても薬を飲むことと
消化器官をいたわるために絶食を勧められるのみでした。絶食しても鈍痛はするし、下痢と血便は出ます。そこへ、絶食することで
空腹となり、腹痛が襲ってきます。何か食べないと収まらないやつです。だから、何かを食べて空腹を抑えるのですが、結局は
下痢になって出ます。だから、食べても意味が無い...と考えるようになってきます。結局、この辛い状況が1週間続きました。
夜は眠れません。寝たと思ったら、1時間後には下痢か血便で目を覚まします。漏らすことも頻繁でした。漏らすので外には出られません。
食品はAmazonのネットスーパーで入手し、何とか生きながらえました。他にも、心配してきてくれた人たちが食品を買ってきてくれました。
2週間目になると、体調は悪化します。ベッドから起き上がるのも億劫になり、机で仕事も出来ません。
そこへ、胃の辺りが風邪のような症状を発症し、下痢に加えて嘔吐もし始めました。熱も出ます。「食べた食品、上から出るか、下から出るか」という映画のようでした。
下痢が出そうだと思ってトイレに駆け込みますが、何も出ず。
代わりに嘔吐しますが、絶食により何も出ません。胃液くらい。後は、薬のパブロンが出てきたり。解熱剤として飲んでいたものです。
鈍痛が辛くて、バファリンで誤魔化し、何とか眠るようにしましたが、結局は下痢と血便で起こされるので睡眠不足も襲ってきます。
眠りが深いと、夢の中でうんこをし、それが現実に反映されていることもありました。下腹部の冷たさで目覚めて、処理します。
口の中は寝不足のストレスで口内炎だらけ。唾液を飲み込むことで激痛が走りました。それもあって、さらに食べることが億劫になりました。
あまりにも辛かった2週間目で救急車を呼ぶか悩んでいました。が、まずはクリニックに行って現状を説明して~と考え、タクシーで移動。
ま、「絶食と薬を飲む」以外の指導はありませんでした。それから3日経った土曜日です。02/15もベッドで苦しんでいると、突然身体が
凄く暑くなってきました。尋常じゃない暑さです。体温計で計測すると熱が「39.6度」。人生で初めて見る体温でした。これは本気でヤバいと
思って、救急車を呼びました。お見舞いに来てくれていた顧問が「マジヤバいときは救急車を呼びなさい」と指導してくれていたのも効きました。
救急車を呼びましたが、救急隊員の人たちって言うほど丁寧では無いのがまた印象的でした。普通に救急車まで歩かされましたし、運転も結構揺れるし、
病院に着くまではほぼ放置です。まぁ、意識がハッキリしてるし、発熱での救急搬送なので、それほど緊急性も高くはなかったのかもしれません。
飲まされている薬とかお薬手帳とか財布とかを持って、救急外来受け付けてる病院へ搬送されました。一応、救急外来だったのですが、結構な人が
救急外来には居て、私は30分ほど放置されました。身体暑いし、怠いしで動けないのでベンチでぐったりと横になっていました。
順番が来て、解熱剤を点滴で投与してもらいましたが、38~39度から下がりませんでした。潰瘍性大腸炎であるということは伝えていたので
状態を見るために22時?くらいにICUで大腸を検査しました。すると、大腸の炎症度は20.1という数値が出たそうです。一般人の炎症度は0.01です。
200倍ですね。もう、大腸が炎症で見えなくなるくらい酷かったそうです。内視鏡カメラを入れた01月後半では、大腸の左側だけが炎症していたはずでしたが
2~3週間で大腸全体がイカれるほど進行していたようでした。この状態では熱が下がらないという診断が下り、私はその日の0時、入院となりました。
まずは入院編でした。こんなに辛くて苦しいと思った二週間は今まで経験したことが無かったと思います。風邪で参っていた時ですら1週間でした。
この時は、どうやったらこの苦しみから逃れられるのだろうかということしか考えていませんでした。風呂にも入れません。シャワーを浴びると
体力を持って行かれるからです。冷や汗を抑えるためにヘアバンドをして寝ていました。髪は汗でぐちゃぐちゃでした。おしゃれとか、そういうのを
考えられる状態ではありません。そのぐちゃぐちゃの状態で私は緊急入院したのでした。
一か月以上、日記を書かなかったことはおそらく無いと思います。ようやく、日記の更新が出来る身体になりました。
実は、入院していました。02/15~03/05(本日)までになります。18日間ですね。長くなるといけないので、明日の日記で
もう少し詳しく書いていきましょう。入院中の生活とかも書いていきましょう。
今日も鈍痛が続いてしまいました。というか、寝ている時も本当につらかったです。2時間に1回くらいの頻度で
腹部の痛みで起きてトイレに駆け込み、下痢をして寝ていました。何回も起こされて本当につらかったです。
朝も腹部の違和感がありましたが、無理して出社したところ、鈍痛が酷くて朝は何もできませんでした。
で、食欲もなんも無いので昼を抜いたら、空っぽになったからか徐々に痛みが落ち着いていきました。
少しでも食べた方が良いだろうと思っていましたが、何も食べずに水分補給だけした方が安定するのかも。
またゼリーだけの生活をして、安定してきたらお粥とかにチャレンジして行くのが良いようですね。
はぁ、滅多なことでは洋菓子とか、食べるのはやめた方が良さそうですね。ちょっとした「食べたいな」で
こんなに引きずることになるとは...。めっちゃきついっす。もう空腹で腹鳴ってるのか、内部に沸いた泡が
弾けてるのか、大腸が狂ってるのか、わからない。何も、わからない。
土日の間、一行足りともプログラムを書きませんでした。金曜日の夜と土曜日に洋菓子を食べたので
大腸を異様に刺激してしまったようです。日曜日の夕方まで下痢下痢下痢。鈍痛の波に踊らされていました。
やはり、一切の油断は出来ないようです。食べるものを出来るだけ考えつつ、野菜や魚を多めにすると
大腸の調子が安定します。正直辛いな。ジャンクフードも良くありません。翌日に苦しみます。
苦しみたくなければ、頭を使って食べるものを考えなくてはなりません。メニュー考えるのめんどくせぇ。
ご飯を毎日作ってくれたり、お弁当を毎日作ってくれる人が居るって本当に凄いことですよ。
当たり前に受け取るんじゃなくて、ちゃんと感謝した方が良いと思います。